代表 小谷野幹雄のブログ

2021年10月21日和歌山城 ~徳川将軍の半分は吉宗の子孫~

小谷野です。

 

日本の名城100選にも選ばれている和歌山城への訪問で、驚き、気づいたことです。

 

徳川家康の十男頼宣から始まった紀州藩56万石と言えば御三家のひとつであり、5代紀州藩主の吉宗が8代将軍に、13代紀州藩主慶福が家茂として14代将軍に就き、2名の将軍を輩出している藩と一般的には認知されています。

 

和歌山城内で家系図を見て驚きました。

8代将軍吉宗以降、14代将軍まで全て吉宗の血筋でした。

 

「9代家重(吉宗の長男)、10代家治(孫)、11代家斉(ひ孫)、12代家慶(玄孫)、13代家定(来孫)、14代家茂(来孫)」 

 

これは、吉宗が徳川将軍家に跡継ぎがない場合に将軍輩出を目的として、自分の子と孫で、「御三卿」を創設したことによります。御三卿とは、田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家で、江戸城内に住まわせました。名前は江戸城内の門の名前に由来します。

 

なかには、11代将軍徳川家斉(日本のラムセス二世(*)-私見です)のように53人の子どもに恵まれた世代もありました。

 

(*)ラムセス二世:紀元前のエジプト王で、200人近い子どもがいたと言われている

 

~吉宗のお陰で尾張藩(御三家)からの将軍はゼロ?、愛知県出身の小谷野でした~

 

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