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2020年10月12日 / 投稿者:Iwasaki テセウスの船とか。

 

テセウスというのはギリシャ神話の登場人物で、クレタ島のミノタウロスをやっつけた人です。
彼がクレタ島から帰還した際に乗っていた船は30本の櫂がついていました。
テセウスを讃えて、その船はその後長らく保存されましたが、木材はやがて朽ちていきますので、数百年の歳月を経て、新しいものに交換されていきました。
修繕の過程で、櫂だけでなく甲板や帆、船底に至るまであらゆる部品が新しいものに取り換えられたと言われています。
「あるもの」を構成する部品がすべて別のものに置き換えられたとき、その「あるもの」は同一のものであると言えるのか。というのがここでの問題です。

 

どうでしょうか。その船の構成要素が帆から甲板から船底までまるまるすげ代わっているのなら、やはり別のものと考えて差支えがないように思います。

その構成要素が変わったとしても、”その船”で行ったのだという事実には変わりがないのだ、と胸を張って言えるにはちょっと寛容すぎるというか、やっぱりおかしいですよね。

 

ところで、人間の細胞は日々の代謝のなかで生まれ変わり、おおよそ7年ですべてが新しい細胞に入れ替わるそうです。

 

は?何を言ってるのでしょうか。風向きが変わってきましたね。
こと、自分のこととなれば話は別です。7年前の自分の細胞が現在どこにも残っていないとしても、やはり私は私です。
だとしたら、テセウスの船もそのすべての構成要素が入れ替わっていたとしてもやはりテセウスの船であると、言わざるを得ないことになります。
でも、そうだとしても、やはり構成要素がすべて入れ替わったものを同一視するのは難しい、だって船と人間は違うもの・・・。

 

と、思いますよね。

 

まぁ、とはいえ、船はそれを構成する低位のパターン(部品)の集合体なので、船自身という高位のパターンは変化しない。
よって、テセウスの船は同一のものである。

 

と、考えれば人間もまた同じということになるのでしょうけどね。

 

なんだか、急に冷めてしまいました。

 


 

 

 

 

 

 

 

ではまた。

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